更新 2017年1月22日
イラスト：玉生洋一
「ぼん、久しぶり」
「えっ……、リーム？」
数年振りで目の前に現れたリームに、ぼんは言葉が詰まった。
「色々懐かしい話もしたいところだけど、特別指令なの。あなたとコンビを組んでるユミ子さんも途中で拾って、すぐにタイム・パトロール本部にいくわ」
リームとユミ子の初対面の挨拶もままならず、三人はそれぞれのタイムボートで超空間に乗り出した。ぼんとユミ子にとって本部に入るのは初めてであった。廊下の向こうから足早にやってきたのはゲイラだった。
「リームくん、僕はこれから最終確認会議に出てくる。ぼんくん、ユミ子くんには、君の方から説明しておいてくれたまえ」
三人は小さな会議室で椅子に腰掛けて落ち着いた。
「今回は隊員五十名以上が参加する大規模な活動なの。だから、ぼんともまた会えたってこと。任務の場所は日本、時はあなたたちにとっては未来となる2011年。この年に東北地方太平洋沖で大地震が起きたの。私はエレメンタリー・スクールに通っていた頃で、テレビのニュースで見たのを覚えているわ。関連情報については圧縮学習して」
ぼんとユミ子がテーブルについている圧縮学習用のコードを額に当てると、地震とその災害の情報が二人の頭の中になだれ込んできた。
2011年3月16日14時26分に仙台市の東方沖70キロの太平洋海底を震源とするマグニチュード9.0の地震が発生。この地震に伴った巨大な津波により岩手県から宮城県、福島県、茨城県に至る沿岸部に壊滅的な被害が生じた。震災死者は一万六千人余り。また、地震と津波で福島第一原子力発電所が事故を起こし、大量の放射性物質が漏洩放出された。福島県中南部、栃木県、茨城県、千葉県および東京都二三区東部が汚染され、特に人口が集中する東京の汚染により政治経済も一時期大混乱が生じた。そして汚染地域の一部は数ヶ月から十年以上に渡り避難区域、居住制限区域に指定された。汚染地域からの避難中事故、避難先での健康被害、経済的打撃による貧困、先行きを悲観しての自殺、被曝による病死と疑われるものなど、原発事故の関連死者数は約一万人。
「こんなことが将来起こるなんて……」
ユミ子は絶句した。
「原則的に隊員は自分の時代より未来の事案は担当しないことになっているのだけど、今回は人員不足のため特別。未来を知ることで歴史に影響を及ぼすのを避けるため、悪いけどあなたたちの今回の任務の記憶は後で消去させてもらいます」
リームの事務的な口調に、ぼんは反発した。
「僕たちが信用できないってこと？」
「ぼんは東北地方に知り合いはいない？地震や津波が来ると知りながら、その知り合いに知らせずにいられる自信はある？」
ぼんは言葉に詰まった。
「今回の任務はそんな事情があるので、希望があればあなたたちは辞退することができるわ」
「任務の内容を聞いてから決めるよ」
「今回の任務は特定の個人を救うのではなく、もっと大規模な計画です。とはいっても、地震と津波が起こって多数の死者が出ることを不自然でないように回避し、なおかつ歴史の改変を小さく済ますのは無理。そこで原発事故の関連死の犠牲者を少しでも救えないかと本部のコンピュータが弾き出した案が、地震の発生を五日早めて3月11日にするという案。これによって原発の放射性物質の放出も五日間早まる。すると放射性物質が最も多く放出される16日から20日の間風は安定して原発から太平洋に向かって吹いていて、陸地つまり居住区の汚染は大幅に軽減されることになるわけ。調査部の予備調査では、ここで救済される約一万人について未来の改変の程度は軽微と見積もられています」
「海に飛んでった放射性物質は大丈夫なの？」
ユミ子の質問にリームは答えた。
「居住区に降り注ぐのに比べたらはるかにましね。太平洋の広範囲に拡散されれば薄まるしね。魚等は確かに汚染されるのだけど、三年後には汚染が減ってきて漁業も少しずつ回復することになるの」
「でも、地震の日を変えてしまったら、津波の犠牲になる人、ならない人が変わってしまうんじゃないかしら」
「そう。そこで私たちの出番となるわけ。地震の日を変更したことで新たに死者を出すわけにはいかない。元々死ぬ予定でなかった人が命を落としそうになった場合、その人を救助する。今回はチェックカードではなくゴーグルを使います。ゴーグルを通して見ると元々震災を生き延びる人は常に青く光って見えるようになっているので、その人達は必ず救助すること。ゴーグルは建物や水を透過して見ることができるので、助けるべき人たちを容易に見つけ出せます。「スローモーション」を利用して私たちは周囲の五十倍の速さで動きながら、青く光っている人は漏らさず救助するのが目標です。ぼんはマラトンの戦いでの仕事を覚えているでしょ？あの時に近い要領ね。分かっていると思うけど、光っていない人は助けてはいけません」
「いつものことながら……、やりきれないな」
ぼんが呟いた。
「もともと死ぬ運命にあった人が自力で助かった場合について、今回は関与しません。歴史への影響が大きい場合は事後処理ということになるわ」
事後処理という言葉に、ぼんはリームとの最初の思い出が頭によぎった。そう、ぼんはリームと出会ったときにリームのミスの埋め合わせで歴史から消されかけたのだ。事後処理とは、そういうことだ。そういうことはあるのだ。リームの言葉は続いた。
「助けるべき人の命は全て平等なんだけども、特に歴史に大きく関わる人物が何名かいるの。その一人がこの十歳の少女、小夏真理」
三人の前にその少女のホログラムが映し出された。
「彼女は後に研究者となって地震制御の技術を開発することになるわ。そして、今回地震の発生時間を早めるために使う機器も彼女の技術を基に更に発展させたものなの。で、ぼんとユミ子さんの任務はこの少女に張り付いて彼女の命を守ること、それと並行して彼女の周囲で青い光を発している人をなるべく多く助けること。かなり重労働で難易度も高い仕事になるわ。何か質問はある？」
重苦しい沈黙が暫く続いた後、ユミ子が口を開いた。
「タイム・パトロールの活動って、もっと消極的なものだと思ったのだけど。歴史に影響が出ないように個人レベルで命を救っていくっていう……。地震の日を動かすというのは、かなり積極的な歴史への関与になってしまうんじゃない？」
リームは答えにくそうな様子だったが、話し出せば流暢だった。
「そうね、コンピュータが導き出したこの案について、本部上層部でも賛否両論だったみたい。この介入で不利益を被る人、最悪の場合死んでしまう人が全く出ないとは言い切れない。それでもやるのか、やらないのか、と。何度も長時間の会議が開かれたわ。選択はどちらもあり得たと思うけど、結局上層部はこの案を実行することを決断しました。私達隊員にある選択肢は二つだけ、任務を遂行するか辞退するか。どうする？」
ぼんとユミ子は互いに見つめあった。そして、二人で軽くうなづいてから同時に言った。
「やります」
「ありがとう。では、向こうのホールで待機してもらいます。ゲイラさんが戻ってきたら最終説明でその後出動よ。私は二人とは別行動になります」
リームはぼんの方を振り向くとぼんに握手を求め、ぼんはそれに応じた。
「ほんの記憶が消される前にはもう会えないかも知れない。こんな形だったけど再会できて良かったわ。任務頑張ってね」
「うん、リームも……」
ぼんは他にも言いたいことが沢山あったような気もしたが、何も言い出せなかった。
東日本大震災地震発生日移動計画の実行結果は以下の通り。地震の日を3月16日から11日に移動したことによる地震、津波による新たな死者は12人、元々は死ぬはずだったが助かった人が164人。小松真理等歴史に特に深く関わる7人については、全員生存を確認。放射性物質が放出される日付が移動し、殆どが風で太平洋に運ばれることになり、福島県中南部、栃木県、茨城県、千葉県、東京都の汚染および政治経済の混乱は大幅に軽減され、関連死者数は7619人減少。しかし、放射性物質放出のピークが16日になる予定が不測の事態で一日前倒しになってしまい、そのとき北西へと風が吹いていてしかも雨が降っていたことで、結果的に新たに福島県内の原発から北西部が汚染され避難区域、居住制限区域となってしまった。この影響で関連死者数が新たに1944人増加。追加の活動でこの関連死者数を減らせないかをコンピュータで検討中。全体的に生存者数を大きく増やした点で本計画は一応成功と評価できるが、新たな死者も多く出してしまったことで、本計画の妥当性については今後更に詳細に検証を行う。