更新 2017年9月9日
イラスト：玉生洋一
「キャー!!」
魔美は自分の悲鳴で目が覚めた。またあの夢……。魔美はここ三日間同じ内容の夢を見ていた。小学生中学年くらいの少女が絞め殺される夢、それも犯人目線からの夢。それがひどく鮮明で生々しいのだった。心当たりは一つあった。最近M市で小学生女児が殺害された事件のニュースがテレビで連日報道されていたのだった。犯人はまだ逮捕されていない。そのことが気になっての夢なのだろうか。
その日の午後、魔美は父の個展の手伝いでつゆくさ画廊の受付に座っていた。夢にうなされて寝不足のせいか、大きな欠伸をしたところ、目の前に高畑が立っていた。
「どうしたの？」
「また例の夢を見て……」
夢のことは高畑に相談済みだったが、特に良い対策に辿り着いた訳ではなかった。そのとき、
「こんなの、児童ポルノです！児童虐待です！」
と画廊の静寂を破る大声が聞こえてきた。声の元へ魔美と高畑が駆け寄ってみると、連作絵画「少女」の一枚を前に抗議する女性を佐倉十朗が宥めようとしていた。女性は魔美の顔を見ると魔美の方に向かってきて言った。
「あなたがこの絵のモデルね。親に無理矢理ポルノのモデルをさせられているのね」
「ポルノ…って、そんなんじゃありません!!父の絵は芸術です!!ねっ、高畑さん？」
「え？ああ、うん」
「かわいそうに。被害児童に自覚が無いというのもよくあることなの。ここで話していてもらちがあかないわね。然るべきところに相談します」
と言うと、その女性は足早に画廊を立ち去ってしまった。
何だったんだろうとキョトンとしている魔美の頭の中に、突然例の夢と類似のイメージが浮かんだ。ただし、今度首を絞められているのは魔美自身であった。接触テレパシー？と思って自分が触れていた金属の手すりの先に目をやると、連作「少女」を見ながら手すりに触れている青年の姿があった。青年は真面目で大人しそうだが、少し暗い感じもあった。
「高畑さん……」
魔美は高畑に小声で話しかけた。魔美はこの青年が例の夢と何かの関係があると直感したのだった。魔美と高畑は画廊から出て行ったこの青年を尾行することにした。尾行の末、二人は魔美の自宅の近くまで来てしまった。青年は魔美の家の近くの高層マンションの一室に住んでいたのだ。
「この距離だと、もしかしたらあの青年の想念がマミくんの夢に現れたということなのかも知れない」
と高畑が言った。
「きっとあの人はあの事件に何かの関係があるのよ。家の中を見に行ってみましょう」
魔美の意見に高畑は最初は乗り気ではなかったが、結局青年の留守を見計らって青年の部屋にテレポートした。
部屋の中には段ボール箱が山積みにされていて、引越しの準備中か引越しの直後の感じであった。実際に部屋にあった書類から三日前にM市から引っ越してきたことが分かった。そして机の上には描きかけのマンガの原稿があった。
「まあ!!何これ!?」
魔美は叫び声を上げ、原稿から急いで目を逸らした。それは裸の少女が陵辱される場面の原稿であった。
「これはアニメ『虹のビオレッタ』のパロディものだね。既存アニメキャラを自分のストーリーに登場させて二次創作の同人誌を描く人は結構いるんだ。内容は性的表現を含むものも多い。彼もそんな同人作家の一人だろうね」
何事にも詳しい高畑は説明した。
「でも、こんなこと考えたり描いたりしていいの？」
「内心の自由があるからね。心の中で何を考えようと考えるだけなら個人の自由、それを他人が妨げることはできない。しかも、その考えたことを外へ向けて表現する自由も、具体的に誰かの権利を侵害しない限り保障される。マミくんは彼の強すぎる妄想を感じ取ってあんな夢を見てしまったのだろうけど、それは勝手に心の中を覗きにいっているようなものだから、止めさせる訳にもいかない」
「でも、でも、こんなことを考えている人は、いつか本当にやってしまうんじゃ……、もう既に……」
「彼が少女殺害事件に関与したかは、何か物的証拠を見つけない限りどうしようもないよ」
二人は暫く部屋の中を探索したが、物的証拠は何も見つからなかった。
翌日日曜日の朝、魔美はまた同じ夢を見た。その生々しさに、あの青年が少女殺害の犯人ではないかとの疑念が拭い去れず、高畑には止められてはいたが、魔美は青年を尾行しその行動を監視することにした。青年は丁度マンションから外に出るところだった。特に大きな荷物も持っておらず、散歩にでも行くかの様子だった。青年の想念が強いのかまたは魔美のテレパシーとたまたま波長が合ってしまうのか、接触せずとも時々青年の心の中が魔美には見えた。道で女子中学生とすれ違えばその中学生に乱暴する妄想がジャーン、公園で女子小学生を見かければその子にイタズラする妄想がジャーン、と魔美の頭の中に広がり、その都度魔美はショックを受けて構えてしまうが、青年は一向に行動に移す気配が無い。本当にこの青年は頭の中で考えるだけで実行する気は無いのだろうか。
「内心は自由なのかも知れないけど、こっちにはだだ漏れなんだから、ちょっとはこっちの身にもなってよ！」
やり場の無い憤りを感じながら、魔美はもう疲れてその場を立ち去ろうとした。そのとき、青年が道端の幼年女児に向かって駆け寄るのが視界に入った。
魔美が自宅に帰ると、父親の十朗が居間のソファーでぐったりとしていた。母親も側に座っていた。娘をヌードモデルにすることが児童虐待に当たるのではないかとの通報が児童相談所にあり、その職員が調査に来ていたのだ。職員は状況を把握して直ちに虐待とは判断されないだろうと告げたが、十朗としては今後連作「少女」を続けるのはかなり難しくなったと考えていた。
「パパの絵は芸術でしょ？それに表現の自由もあるんじゃないの？」
「マミくんにそう言ってもらえるのは嬉しいね」
十朗は少し元気を取り戻したようだった。魔美にとっては、小遣いの収入が絶たれる失業問題でもあったのだが、そのことは黙っていた。それに、魔美は今はもっと別のことで悩んでいたのだ。
魔美は自分の部屋に入って一人で考えた。
「あの青年を逃したのは正しかったのかしら。テレポートさせずあのままにした方が良かったのではないかしら。あそこで捕まって警察の調べが入れば、あの人が少女殺害事件の犯人かどうかの手がかりがつかめたかも知れない。でも、あの時点であの人は何も悪いことをしていなかった訳だし……」
翌日、登校中に魔美は高畑からM市少女殺害事件の容疑者が逮捕されたニュースを聞いた。
「容疑者は少女の通っていた小学校のPTA会長らしいよ」
あの青年ではなかった、よかった！ほんとによかった!!魔美はその場で泣き出してしまった。続いて高畑が
「まだ容疑者で冤罪の可能性もあるけど……」
と呟いた言葉は、魔美の耳には入らなかった。それ以来、魔美はあの夢を見ることはなくなった。何故だかは分からない。容疑者逮捕のニュースに安心して、魔美が少女殺害事件に関する精神的な信号に鈍感になったのかも知れない。またはあの青年の方が何らかの理由で安心して、そういう信号を出さなくなったのかも知れない。