更新 2010年9月8日
イラスト：玉生洋一
ヒロシの姉が亡くなって、一ヶ月が過ぎた。葬儀などの慌ただしさが一段落して、漸くヒロシにも姉のことをゆっくり考えるゆとりが生まれた。ヒロシはまだ小さい時に両親を亡くして、その後は姉が働きながらヒロシの面倒を見てくれたのだった。ヒロシも今では独立し、結婚して一児の父であった。ヒロシは自分をもう一人前だと思っていた。しかし、姉が亡くなって初めて、自分が今の今まで姉に見守られ支えられ、その懐の中で飛び回っていたに過ぎないことに、気がついた。その自分を包み込んでくれた、そしてこれからもそうだろうと夢にも疑わなかった姉が、今はもういないのだ。ヒロシは、そのあっけなさに途方に暮れるばかりであった。
そんなヒロシの様子を、水晶玉を通して見つめる目があった。
「ドラキュラ！オオカミ男！フランケン！どうしてもヒロシの姉さんを生き返らせることはできないのか！」
「それは無理ざます。いくら大王様の頼みでもこればかりはダメざます」
「そうでがんす」
「フンガー、フンガー」
三匹の怪物は口を揃えて言った。暫しの沈黙の後、沈黙に耐えられないドラキュラが、ペラペラと独り言のように喋り出した。
「大体、人間というのは脆いものざます。ちょっと血を吸ったくらいでも、簡単に死ぬざます。ヒロシのお姉さんは、まだ若かったざますが、人間なんて長生きしてもせいぜい百歳ざます。あたしたち怪物の寿命は、種族によって違うざますが、短くても数百年、長ければ数百万年あるざます。あたしももう数百年生きて、沢山の人間が死ぬのを見てきたざます。もう慣れちゃったざます。大王様もそのうち慣れ……」
水晶玉を覗き込んでいた目が、ギロッとドラキュラの方に向けられた。睨みつけられたドラキュラは、怖気づいて言葉に詰まった。
「ヒロシもいつかは死ぬんだな」
大王は呟いた。
「いや、おれはそんなの我慢できんぞ！そうだ！ヒロシをここに連れてくるんだ。ドラキュラ！オオカミ男！フランケン！今すぐに、ヒロシをここに連れてこい！」
「ダメでがんす、人間を怪物ランドに入れてはいけないんでがんす」
「ウルサーイ！ヒロシは特別なんだ！おれの言うことが聞けないっていうのか!?」
誰も大王には逆らえなかった。三匹の怪物は、怪物列車に乗って、人間界へとヒロシを迎えに行った。
ヒロシと怪物くんや怪物たちが別れてからもう三十年以上たっていた。久しぶりに三匹の怪物と再会して、ヒロシの目からは急に涙が溢れ出た、姉が亡くなったとき、そしてその後は一滴も流れ出なかった涙が。ヒロシは、すがりつける誰かを求めていたのかも知れない。フランケンの広い胸の中で、ヒロシは泣いた。フランケンは、「フンガー、フンガー」とだけ言って、ヒロシを不器用にしかし優しく抱きしめた。ヒロシは無性に怪物くんに会いたかった。三匹の怪物に導かれるままに、ヒロシは怪物列車に乗り込んで、怪物ランドへと向かった。
怪物王城の大広間に駆け込んだヒロシは、言った。
「怪物くんのお父さん、お久しぶりです。怪物くんはどこですか？」
「ヒロシ、おれだよ。おれが怪物太郎だよ」
そのとき大王こと怪物太郎、つまり怪物くんの眼がビカッと光った。たちまち、ヒロシは化石になってしまった。
「坊ちゃ……いえ、大王様。何をするんでがんす！」
オオカミ男が叫んだ。
「これでいいんだ！化石になってしまえば、もうヒロシは死ぬことはない。年老いることもなく、永久にこの姿のままなんだ」
怪物くんは、化石になったヒロシを手のひらに乗せて、しげしげと見つめ、そして語りかけるように言った。
「ヒロシ、おれの姿も大分変わったが、お前も随分立派になったな。だけど、あと三、四十年もしたらヨボヨボのじいさんになって……、その後は死んじまうんだぜ。いや、おれがそんなことはさせん。もう安心だ、お前はずっとこのままなんだ。おれは死ぬまでお前を離さないぞ、といってもおれは不死身だが……」
「し、しかし……」
ドラキュラは口を開いたものの、先を続けることが出来なかった。怪物くんの形相はあまりにも凄まじく、ここで逆らったらもう何が起こるか分からない勢いであった。
「パパに何をするんだー！」
そのとき、甲高い声が大広間に響いた。それはヒロシの息子、太郎の声だった。太郎という名は、ヒロシが怪物くんとの思い出に、怪物くんの本名をつけたのだ。太郎はちょうどあの頃のヒロシと同じ年齢だった。太郎は、父親が出かけるのを見て、こっそり後をつけて怪物列車に乗り込んだのだった。
「早く、パパを返せ！パパを元に戻すんだ!!」
怪物くんがギロッと睨んでも、太郎はたじろがなかった。オオカミ男が、慌てて取り押さえようとした。
「大王様に命令するなんて、とんでもないでがんす」
太郎はちょこまか逃げて、叫び続けた。
「パパを元に戻せー!!元に戻さないとひどいぞ！」
太郎は、怪物くんの足元に駆け寄り、両手をげんこつにして怪物くんの足を叩き出した。勿論、怪物くんは蚊ほども感じる筈はなかった。
「黙っていないで、何か言えー！このデブエリマキトカゲ！」
「な、なんて恐ろしいことを!!」
ドラキュラのもともと蒼白い顔が、更に蒼くなった。
怪物くんは、ヒロシの息子、太郎を見て、自分が子どもだった頃を思い出していた。自分も、子どもの頃、こんな風に恐いもの知らずに、オヤジ、つまり先代の怪物大王に楯突いたことがあった。先代から大王の座を引き継いで以来、皆怖がって自分に歯向かったりするものは無かった。いや、まだ王子の頃からも、周りは皆ちやほやして、心の底から気持ちをぶつけ合える相手はいなかった。そんな中で、ヒロシが自分にとって最初の本当の友だちだったのだ。怪物くんの目に、ヒロシの息子の姿があの頃のヒロシの面影に重なった瞬間、その目からは一粒の涙がこぼれた。その涙はヒロシに降りそそぎ、涙を浴びたヒロシは元の姿に戻っていた。そして、怪物くんも怪物王城の大広間も消え、ヒロシとその息子は自分たちの家の前に立っていた。
太郎の耳に、怪物くんの声が聞こえた。
「ヒロシは、お前に返す。お前が、あの頃のヒロシを思い出させてくれたからだ。今のおれをヒロシは見ない方がいいと思うから、おれはヒロシには会わない。太郎、父さんを大事にしろよ」
ヒロシは、夢から覚めたばかりのように茫然として、その声は聞こえていなかった。息子の声で、ヒロシは漸く我に返った。
「ねえ、パパ。いつも話してくれる怪物くんとパパは仲良しだったの」
ヒロシは答えた。
「ああ、そうだとも、一番の友だちだったんだ」