更新 2003年3月30日
アトラースというのは、天空を両肩にかついで支えている力持ちの大男でございます。空が落っこちて来ないのは、この大男のお陰なんでございまして、今日はその大男アトラースのお話です。
「おう、アトラース、アトラース……。アト公っ」
「なんだい、兄貴」
「今日は、おめえにいい話を持ってきた。おめえはもう天をかつがなくってもよくなったんだよ」
「えっ、おれがもう天をかつがなくってもいい…」
「ああ、そうだ。コペルニクスという偉いお坊さんが、何だっけな……、地…、地…、そうそう地動説とかいう有り難いお経を読んで……、おれもよくわかんねえんだが…、何でもお天道様や星じゃあなくて、地面が動くことになったんだとよ」
「なんだか話がちっともわからねえ」
「おめえは昔からとろい奴だったからな。おめえはおれがついてないと駄目なんだ。いつだったか、せっかくヘーラクレースのとんちきに天を担ぐ役目を押しつけたってのに、ちょっと烏帽子を頭にのせるまで代わってくれと言われて、そのまま逃げられちまって。おめえ図体はでかくて力はあるが、頭の方がな……。あん時もおれがついていればな。ま、無理もねえ、このおれでも詳しくはわからねえんだ。さっき長屋で大家のガリレイさんにあって、あの人は学があるからな、おめえに説明してもらえるよう頼んどいたんだ。ああ、ガリレイさん、こっちこっち」
このガリレイさん、道楽で地動説のお経などを勉強してまして、最近買ったばかりの自慢の地球儀を長屋の連中四、五人に転がさせて持ってきました。この地球儀は石でできていて、ちょっと大きな子どもの背丈程の大きさはあるんですな。そしてガリレイさん、この地球儀を指さしながら、嬉しそうに地動説の説明をしたってえ訳です。
「……ということでな、わしらの住んでる地面は実はこの様にまあるくて、これを地球というんだ。そして一年かけて地球はお天道様の周りをぐるっと回るということでな。地球の方が動いているのだから、別にお前さんが空を支えるこたぁないんだよ」
「そうそう、そういうことになったんだよ」
「別に今そうなったわけではなくて、昔から……」
「まあ、細かいことはどうでもいいじゃねえか。長い間ご苦労だったな。アトラース、おめえもうその手を下ろしてもいいんだよ」
「本当かあ。どうもおれには信じられねえなあ」
何とか二人でアトラースを説得して、アトラースは漸く天を支えていた腕を下ろしました。
「ほら、落ちてこねえじゃないか。偉い先生のいうことに間違いはないんだよ」
「本当だなあ」
「ところで、その地球ってのは丸っこくて、どっかに転がってったりして、危なっかしくねえか。ここにおれらが住んでるんだろ、これじゃ安心しておまんまも食えねえやな。そうだ、アト公。おめえ今度はこの地球をかついで支えてくれねえか、そしたらもう安心だ」
アトラースは、人がよくて力持ちですから、早速その石の地球をかつぎました。ガリレイさんは、自慢の地球儀を取られてはかなわん、と止めようとしましたが、
「大丈夫、大丈夫。こいつは今まで天空を支えていたんだ。これから地球を支えるくらいのこたぁ、屁でもねえ。なあ、アト公」
「ああ、おらあこれぐらいへっちゃらだあ」
「いやいや、そうじゃなくて。それはな、作りものなんだよ。本物に似せてあるだけのもんなんだよ」
「よくわからねえな。さっき大家さんが、おれらはここに住んでいるんだといったばかりじゃねえか。ああ、心配ない、心配ないって。こいつそそっかしいけどな、物を支えることに関しちゃあ天下一なんだから」
「わからないのは、あんたの方ですよ……」
ってな言い合いが暫く続いた後、アトラースがいいました。
「何だか兄貴、わかんなくなっちゃったな。これァ……、おれが支えているのは確かに地球なんだが、じゃあおれの立っているこの地面は一体何なんだろう」
その後、ガリレイさんは無事に地球儀を取り戻したといいます。それでアトラースがそれからどうしているかっていいますと、あたしらからみますと逆立ちをしているように見えるんですがね、実はちゃーんと地球をかついで支えているんです。